旅行記その2
− スペイン −
4月になって多忙時期が一段落したので9日間スペインへ行った。
ヨーロッパ大好き人間の私にとって久々の欧州。さてどんな旅が始まる事やら・・・
スペインというと“情熱の国”というイメージが強かったがちょっと違っていた。
まず最初に驚いたのはスペイン人てなんて愛想がないのだろう・・・ラテン系だから皆明るく陽気で親しみやすい人ばかりなのかと思ってたらそうでもなかった。といって冷たいのかというとそうでもないのだが。
1日目:快晴
朝の10時半に関空を飛び立ちこれからオランダまでの12時間を狭い機内でどうやって過ごそうか。これが一番辛い時間だ。音楽を聴いたり、映画を観たり、むくみやすい体質なので何度もトイレに立ったりしながら何とかオランダのスキポール空港へ到着。ここからマドリッドへ向けて再び飛行機へ。今度は2時間半ほどのフライトだから何とか我慢できた。
夕方の7時頃にホテルへ到着。家を出てからすでに19時間も経っているのだ。さすがに疲れた。へとへと・・・晩御飯を外へ食べに行く元気もないので関空で買ったおにぎりを1個食べてお風呂に入りすぐにベットへ。爆睡。
2日目:快晴
晴れてるわりに気温が低い。4月だというのに現地の人たちはまだ毛皮のコートやダウンジャケットを着込んでいる。出発前にほおり込んだフリースのジャケットが役立った。
マドリッドでは美術館やソフィア王妃美術センターを見て回った。
世界3大美術館のひとつでもあるプラド美術館のメインはやはりゴヤの『着衣のマハ』だろう。その他にもフラアンジェリコの受胎告知などすばらしい絵画がたくさんあった。
次のソフィア王妃美術センターにはスペインの有名な画家ピカソの絵が何点か飾ってある。
ここの目玉は『ゲルニカ』。1937年にバスク地方の小さな町ゲルニカがドイツ軍機ユンカースによって爆撃され多くの死傷者が出した惨事を知ったピカソが戦争への怒りと生命の尊重を表したという。
昼食はスペインの代表ともいうべき料理パエリアだ。
スペインへ来てから初めてレストランでの食事なので楽しみにしていたら・・・お米の芯が口に残ってあんまりおいしくなかった。味付けも塩辛くて全体的に濃い。スペイン人は1日5回も食事を取るのだそうだが毎日こんな塩辛い物を食べていたら高血圧になりそう。
昼食後は世界遺産の街トレドへと向かった。
三方をタホ川に囲まれ、クレタ島生まれの画家エル・グレコが後半の生涯を送った頃と同じ中世のたたずまいが今でも残っている。
ホテルに到着後、夕食まで2時間ほどあったので街を散策しようと思い、カメラを持って外へ出た・・・トレドの街は小さく道も細くて車1台が通るのがやっとという感じ。入り組んだ小道に沿って小さな民芸品店ののぞきながら歩いていたら気が付くとホテルからどんどん離れていた。さてそろそろ戻ろうかと思い、来た道を引き返そうとしたら帰り道がわからない。迷ったらしい。周りは日本語が通じそうもないし、どうしようかと不安であせっていると、パトカーで巡回していたおまわりさんに出会った。
片言の英語で道に迷った事とホテルの名前を言うと返ってきた答えはスペイン語。なんじゃこりゃ〜、と余計に困った。でも人間崖っぷちに立つと案外何でもできるようで身振り手振りのジェスチャーで何とか無事にホテルに辿り着く事が出来た。
部屋でホッと一息着き8時になったので夕食に出かけた。今晩のメニューはチキンのパテ、茄子のシーフード詰めにウズラのロースト。鳥の姿を残して煮込んだトレドの名物というその料理を一口しか食べられなかった。北京ダックだったらよかったのに。
3日目:快晴
朝食後、トレド観光。大聖堂カテドラルやサント・トメ教会を見学後、コンスエグラの風車などあるラマンチャ地方へバスで移動。
ラ・マンチャとはアラビア語で「乾燥した土地」という意味でその名のとおり、赤土の大地にブドウ畑が広がり青い空に白い風車というとてもスペインらしい風景である。
ここからさらにバスに揺られてコルドバへ。
4日目:快晴
ヨーロッパが「暗黒の中世」と呼ばれた時代、コルドバにイスラム教が伝えられたこの街にはイスラムの世界が漂っている。またユダヤ人街と呼ばれるこの地区の家は白壁の家並みに花の小鉢が飾られパティオ(中庭)のかわいらしさにおもわず足を止めたくなる。
午後はアンダルシアの風景を見ながらグラナダへ。 ・・・・・To be continued